
春の訪れの中で届いた知らせ
3月も下旬となり、雪国にも本格的な春の訪れを感じるようになりました。
春のマイルーティンとして欠かせない雪割草の観賞も叶い、
今年も無事に春を迎えることができました。
そんな穏やかな春を感じていた折、悲しい知らせが入りました。
昨年、成年後見制度における保佐人として選任されたことを
このブログでもご報告しましたが、その支援をしていたNさんが
ご逝去されました。
支援の始まりと、安定した日々
Nさんは心不全や呼吸器系のご病気を抱え、身寄りもなくお一人で
生活されていたため、継続的な支援が必要な状況でした。
入院すると体調は回復するものの、退院後の生活で体調を崩して
しまうことがあり、医療体制の整った施設での生活が望ましいと
考えられていました。
受入先が決まり、昨年のクリスマスに入所されてからは、体調も安定し、
会話も以前よりずっとはっきりとできるようになりました。
このまま落ち着いた日々を過ごしていただけるものと、
安心していた矢先のことでした。
突然の入院と、迫られた判断
先月、施設で腰に強い痛みを訴えられ、救急搬送されました。
原因不明の圧迫骨折と診断され、そのまま入院となりました。
そしてその日の夜、担当医師から今後の治療方針について説明を
受けることになりました。
延命措置という言葉の受け止め方
その中で、持病の影響や入院による体力低下の可能性、そして回復が
難しい場合の対応についても話があり、延命措置を行うかどうかの
判断を求められました。
「延命措置」と聞くと、多くの方が、意識の回復が見込めない状態で
生命を維持することを思い浮かべるのではないでしょうか。
私自身も同じように考え、
「自然な形での治療をお願いしたい」
とお伝えしました。
言葉の曖昧さと、その後の経過
ただ今になって振り返ると、この「自然な形で」という言葉は、
とても曖昧だったのではないかと感じています。
自分の中では明確なつもりでも、受け取る側によって意味が
変わってしまう言葉だったのかもしれません。
その後Nさんは、入院をきっかけに少しずつ体力が落ちていきました。
骨折そのものよりも、持病である喘息の影響で呼吸が苦しそうな様子が
見られるようになりました。
そして亡くなる前日は、本当に呼吸が苦しそうで、数日前からの変化としては
あまりにも急で、戸惑うばかりでした。
今回の経験から感じたこと
あのとき、自分はどう伝えるべきだったのか。
もう少し具体的に話すことはできなかったのか。
今でも何度も考えます。
今回の経験を通して感じたのは、医療の現場で使われる
「延命をしない」
という言葉と、私たち一般の感覚での「延命措置」との間には、
思っている以上に差があるのではないか、ということです。
今からできること
そしてもう一つ感じたのは、「どこまでの医療を望むのか」ということは、
いざというときに突然考えるのではなく、元気なうちから少しずつでも
話し合っておくことが大切なのではないか、ということです。
ご家族や身近な方と、
・どのような最期を望むのか
・どこまでの医療を希望するのか
こうしたことを言葉にして共有しておくことが、いざというときの
判断を支えるのではないかと感じています。

保佐人としての1年を振り返って
一月前まであれほどお元気だったNさんが、圧迫骨折をきっかけに
急逝されたという現実は、とても受け止めきれるものではありません。
保佐される方が亡くなられると、保佐人としての任務は終了となりますが、
その立場の重さを改めて感じた約1年でもありました。
成年後見業務に携わる中で、多くのことを教えてくださったNさんには、
心より感謝しています。
合掌


