
人生の節目に届いた、懐かしい仲間からの誘い
旧体育の日からの三連休。
その中日に、中学校時代の有志が企画した「還暦会」が開催されました。
当時8クラスあり330人以上在籍し、今回出席者が80人近く集まったようですから、
それなりの人数が参加したようです。
同じ組だった幹事から声をかけてもらい、グループLINEにも招待されました。
中学校を卒業してから約45年。
還暦という人生の節目に、久しぶりに仲間と再会する機会です。
誘ってもらえたことは、うれしかったです。
懐かしい仲間に会ってみたいという気持ちも、もちろんありました。
それでも、私は最終的に出席を見送りました。
仕事や家庭の都合ではありません。自分なりに考えた末の選択でした。

会いたいけれど、会うことをためらってしまう
なぜ欠席したのか。
自分の気持ちを振り返ってみると、中学校時代の思い出を、できることなら
当時のまま大切にしておきたいという思いがありました。
それは自分の中にある思い出と、現実の再会との間に、ギャップが生まれることを
心配していたかもしれないということです。
中学校時代の仲間との思い出は、当時の教室や部活動、何気ない会話など、
何気ない日常の一コマが心に残っています。
そこには、今の肩書や立場ではなく、何者でもなかった頃の自分を知っている
貴重な同級生という存在です。
しかし、あれから約45年もの時間が流れました。
お互いに年齢を重ね、生活環境も考え方も変わっているはずです。
久しぶりに会えば、昔と変わらない懐かしさを感じるかもしれません。
一方で、実際に会ったとき、自分が期待しているような再会になるとは限りません。
昔のように自然に話せるのか、会話が思ったように弾まなかったり、
昔のような距離感では話せなかったりすることもあるでしょう。
それは、会ってみなければわかりません。
人は年月とともに見た目も考えも変わっていくもので、これが普通なのでしょう。
ただ、自分の中で大切にしてきた思い出が、現実の再会によって、少し違った
印象になることを恐れていたのかもしれません。
心理学には、過去の自分と現在の自分とのつながりを大切にする
「自己連続性」という考え方があります。
昔の仲間との記憶は、単なる過去の出来事ではなく、自分が歩んできた人生の
一部分を大切にすることでもあります。
その思い出を無理に現実と照らし合わせず、心の中にある形のまま
大切にしておきたい。
そんな気持ちのことを言うようです。
今回の私の気持ちも、それに似ているのかもしれません。
同学年の仲間に会いたい。
でも、会うことで、心の中にある大切な思い出が、自分の期待とは違うものに
なってしまうかもしれない。
その二つの気持ちの間で揺れた末に、私は会わないことを選びました。
思い出を守りたいという気持ち
過去を懐かしむ感情を「ノスタルジア」と呼びます。
懐かしさは、単に昔を思い出すだけの感情ではありません。
過去の人間関係や経験を通じて、自分が歩んできた人生を確かめる働きもあります。
中学校時代や高校時代の仲間は、今の仕事上の立場や社会的な肩書きとは関係なく、
まだ何者でもなかった頃の自分を知っている人たちです。
だからこそ、その頃の仲間を思い出すことは、当時の自分自身を
思い出すことでもあります。
心理学には、過去の自分と現在の自分がつながっているという感覚を表す
「自己連続性」という概念もあります。
年齢を重ね、生活環境が変わっても、昔の記憶は自分の人生の一部として
残っています。
私にとって、中学校時代の仲間との思い出も、そうした大切なものなのだと
思います。
だからこそ、現実の再会によって、記憶の中の仲間と目の前の仲間との違いを
感じることに、ためらいがあったのかもしれません。
もちろん、実際に会ったからといって、昔の思い出が消えるわけではありません。
それでも、心の中にある大切なイメージを、あえてそのままにしておきたい。
そんな気持ちが、欠席という選択につながったのでしょう。

楽しそうな写真を見て、改めて感じたこと
還暦会は無事に開催され、その後、グループLINEには会場の様子や、
再会を喜ぶ仲間たちの写真がアップされました。
盛大に盛り上がった様子が伝わってきます。
写真を見て、「自分も参加していたら、あの輪の中にいたんだな」と思いました。
懐かしさとともに、何とも言えない複雑な気持ちにもなりました。
もし会いたい気持ちがまったくなかったのであれば、欠席しても心は揺れなかった
かもしれません。
ただ、写真を見たから後悔したというわけでもありません。
実は、高校時代に部活動をともにした仲間が約42年ぶりに集まる機会が
あったときも、同じような気持ちから欠席していました。
心理学の言葉で実際には選ばなかった道について、
「もし、あのとき違う選択をしていたら」
と考えることを「反実仮想」と呼ぶそうです。
今回も、出席していた自分を想像する一方で、欠席した理由にも納得している
自分がいます。
会いたい気持ちと、思い出を守りたい気持ち。
そのどちらも本心なのです。
ですので、複雑な感情を、単純に「行けばよかった」という後悔だけで
片づけることはできません。
欠席した人にも、それぞれの思いがある
今回、還暦会に参加しなかった人も、それなりにいたようです。
仕事や家庭の事情、健康上の理由など、参加できなかった理由は
人それぞれでしょう。
その中には、私と同じように、参加したい気持ちはありながら、思い悩んだ末に
欠席を選んだ人もいるかもしれません。
同窓会や還暦会は、懐かしい仲間と再会できる貴重な機会です。
企画してくれた幹事の皆さんには、心から感謝しています。
一方で、参加しなかったからといって、仲間を大切に思っていないわけでは
ありません。
人にはそれぞれの価値観があり、大切にしたい思い出も違います。
再会を心待ちにする人もいれば、懐かしさを心の中にとどめておきたい人もいます。
参加した人には参加した人の喜びがあり、欠席した人には欠席した人の思いが
あります。
どちらが正しいということではありません。
思い出を大切にしながら、これからを歩む
還暦という節目を迎え、これまでの人生を振り返る機会が増えました。
今回の還暦会を通じて、私にとって昔の仲間との思い出が、思っていた以上に
大切なものなのだと改めて感じました。
今回は欠席しましたが、これから先も会わないと決めたわけではありません。
古希にまた再会しようという話が早速でたようですから。
その時期が来たらその時の自分の気持ちに従って考えたいと思います。
もし、同じように同窓会への出席を迷っている人がいたら、無理に参加する必要も
なければ、欠席した自分を責める必要もないと伝えたいです。
大切なのは、周囲に合わせることではなく、自分の気持ちに向き合うことなのだと
思います。
還暦会を企画してくれた皆さん、そして参加された皆さん、楽しい時間を過ごされた
ことと思います。
今回は参加できませんでしたが、声をかけていただいたことに感謝しています。
懐かしい仲間の写真を見ながら、私も心の中で、あの頃の時間に思いを馳せました。
思い出は、必ずしも現実の再会によって確かめなければならないものではありません。
会いに行くことで新しい思い出が生まれることもあれば、あえて会わずに、
心の中にある思い出を大切にする選択もあります。
「記憶に生きる」と私は呼んでいます。
どちらが正しいということではなく、それぞれが自分なりの思いで選んだ
答えなのだと思います。
会いたいけれど、会わない。
そんな選択にも、その人なりの理由や思いがあるのだと思います。
それぞれの選択を尊重しながら、昔の仲間とのつながりを、
これからも大切にしていきたいと思います。


